私の墓

墓場まで持っていきたいが、いま吐き出したい自分の思いと過去

闘いは続く

夕方になると便意を催すか、または腹部の膨満感による腹痛を生じる。

受診はしていない。

自分なりに調べてみると、どうやらガス溜まり腹痛の症状が一番近いようだ。

それが考えられる理由として、職場を退勤した直後にオナラを何度も放つからだ。本当に何度も。

当時は原因不明だったが、勤務中に強烈な腹痛に見舞われ、結果、腸閉塞と診断され入院したことがある。

「手術はしなくていいの。」

と、入院直後や退院後もしばらくは家族の他、職場の方達にも問われることが多かったのだが、オナラが溜まったために入院したとは言えず、「原因不明なんだけど、手術はしなくてもいいって。」と、“原因不明”という便利な言葉で曖昧に濁していた。

 

研修医に対する実習も兼ねての胃カメラや、レントゲンなど、諸々の検査を終えた私は一週間も経たないうちに退院となった。

なるべくガスを溜めないように運動や腸内環境の改善を心がけてはいるが、未だに夕方のガス溜まり腹痛は収まる気配がない。

 

ガス溜まり腹痛の質が悪いのに、肺が圧迫されることで起こる呼吸困難が症状の一つとしてあることだ。

思い当たる節がある。

楽しく会話しながら矢継ぎ早に食べ物や酒を口にしているとほぼ100%の確率で呼吸困難が襲ってくる。これは食べ物などと一緒に、大量の空気を飲み込んでしまっているからに他ならない。

家族との焼肉では、ゆっくり食べることを心がけないと大変な迷惑をかけることになる。

しかし、よく利用させていただく焼肉屋ではオーダーバイキング、時間制の食べ放題が設けてあることで、エンゲル係数の高い我が家では必ず食べ放題をオーダーするのだ。

楽しい会食が吉と出るか凶と出るか、それは私次第なのだ。

 

小学生のころは下校時間には必ずと言っていいほど腹が痛くなり、便意を催していた。

バスを利用するような距離に自宅はなく、登下校は子供の足で10分から15分程度はかかっていたと記憶している。

寄り道は禁止されていたが、そんな規則はどこ吹く風の児童たちは、公園や友人宅で遊ぶことが当たり前だった。

真っ直ぐ帰宅すれば、ギリギリか若干の余裕をもってトイレに落ち着くことができるのだが、寄り道をするとなると、それはもう命がけで帰宅しなくてはならなかった。

田舎の公園など、空き地にブランコやシーソー、砂場がある申し訳程度のものなので公衆トイレなどなく、また、翌日の学校でのからかいの的になることを避けるため、友人宅でトイレを借りるということは当然避けなければならなかった。

私の括約筋と便意、どちらが勝つか、誰も知らないところで闘いは日々繰り広げられていた。

 

小学校2年生、最悪の事件が起こる。

いつもは眼前100メートルに自宅を臨む頃に強烈な便意が襲ってくるのだが、その日に限って小学校を出て100メートルのところで襲ってきたのだ。

まるで「小学2年生の括約筋など恐れるに足らず」と言わんばかりに、肛門から出ようとする物。

明らかにオナラではないそれに対し、どこまで我慢できるか…いや、無理だ。

これは家に着くまでに漏らしてしまう。

そう、便意に意識が負けた瞬間、私はせめてもの抵抗で通学路にあった小屋の裏へ足早に駆け出し、誰もいないのを確認してズボンと下着を擦り下ろした。

瞬間、括約筋の緊張を押しのけ、飛び出してきた物が小屋裏のコンクリートの上に盛られていく。

肛門を拭く紙?誰かがそれを見つけた時に犬や猫の物ではないと騒ぎ立てる?

そんなことは知ったことではなかった。

下着にそれを付着させることで母に叱責される。そのことの方が怖かった。

 

便意から解放され、安堵したのも束の間、

「あー!こんなところで野グソしてやがる!!」

「うわー!本当だ!!くっせー!!」

という声に驚き、顔を上げたそこには数人の上級生の姿があった。

恥ずかしくなった私は下着とズボンを大急ぎで上げて帰宅。道中の記憶はない。

 

終わった。

終わったと思った。

これで明日から私の名前はウンコマンになる。

好きな子にも嫌われる。

友達とも遊んでもらえなくなる。

絶望的だった。

 

下着に付いたそれを母が叱責しながら洗い流し、二層式洗濯機へ。

下着は真っ白になり元通り。

私の心は元通りにはならなかった。

 

翌日、学校に行くことは億劫だったが、仮病で休むということはしてはいけないように感じたのか、いつも通りに通学。

そして、いつも通りのクラスメイトたち。

漏らしたことをからかわれることもなく一日が終わり、その後も相変わらず便意と闘いながらではあったが平穏な日々を送ることができた。

 

考えてみると、現場を目撃した上級生は5年生や6年生が中心だったように思う。

2年生が漏らしたことなど、もはや彼らにとってはからかいの対象ではなく、その場限りのものだったのではないだろうか。

これはあくまでも推測のため、機会があれば目撃者たちに話を伺ってみたいと思う。

 

かくして、ウンコマンの異名を与えられることなく現在に至っている。

しかし、便意と腹痛とに闘う日々は続いており、また、今日の夕飯は娘が担々麺を作ってくれ、これが大変に美味しく、4玉ほど替え玉しながらかき込んで食べてしまったため、呼吸困難を我慢しながら書いている始末。

学習能力のない夫を見る妻の目も厳しくなる一方である。

 

早食いをしないための自制心を養い、ウンコマンと呼ばれないようにしたい。