私の墓

墓場まで持っていきたいが、いま吐き出したい自分の思いと過去

風呂のない家

私はとある田舎の温泉地の出身だ。

どこの温泉地でもそうなのか、この歳になるまで人に尋ねたり調べたこともないのだが、住んでいた家には風呂がない。

風呂がないため、「外湯」と呼ばれる地元の大衆浴場へ毎日足を運ばなければいけなかったことが苦痛だった。

何せ、猛暑の夏には帰り道で汗をかき、雪の降り積もる冬の帰り道では、温まった体が言えに着くころにはすっかり冷えてしまう。

「手がすべすべですね。何でですか。」

と、自身には自覚はないのだが、人からよく言われるこの言葉。

おそらくは温泉の効能の一つだと思うのだが、男の、しかも40を過ぎた私には少なくとも手がすべすべにおけるメリットというものを感じたことはない。

 

当時は母方の祖母が旅館に住み込みで働いていたこともあり、そこの女将さんをはじめとした一家で大変よくしてくれ、私は中学生卒業まではそちらの風呂を無料で借りることができた。

宿泊客があれば旅館の玄関は明るくされ、気兼ねなくお邪魔することができるのだが、そうそう古びた田舎の温泉地に足を運ぶ人も少なく、その玄関は薄暗いことがほとんどだった。

玄関を入ると正面に受付、左手に一枚の扉があり、そこを開けると従業員、つまり、その一家が食事したり休憩するスペースがある。

「行ったら必ず女将さんたちに挨拶すること。」

と、幼少期より母から言われていたため、気の小さい私は「お邪魔します。」「こんばんは。」と、小声でおよそ挨拶とは呼べない言葉を呟きながら扉を開ける。

いつも笑顔の女将さん。

気難しい顔をしているが、実は温厚な学校教員の旦那さん。

深い皺が刻まれた小さな顔の大女将。

私より10以上歳の離れた長男と、ガンダムのプラモデルが好きな二男と優しい笑顔の長女。

そして、住み込みで働く祖母とがそのスペースで優しく迎えてくれていた。

 

いくら祖母がいるからといって、毎日押し掛ける形で風呂を借りている他人の子を嫌な顔せず迎えてくれていたことは、今になってみると並みの人にはできないことだと思う。

当時の私は当たり前のことだと思っていたので、感謝の念を込めた挨拶はなく、社交辞令で済ます誰の目から見ても嫌な子供に映ったに違いない。

扉を開けて挨拶をして「お風呂をお借りします。」という一連の流れは、風呂のなかった家の子の儀式という感じがしていたに違いない。

 

大きな風呂で足を伸ばしてくつろいだり、小学生時分には泳いだりと、とても贅沢な時間を過ごさせていただいた。

小学校低学年までは父と入浴していたのだが、私以上に気の小さい父は挨拶もそこそこに脱衣所へ行き、浴場の電灯だけ点け、その薄明かりの中で服を脱いでいた。

父の仕事の都合もあり、一緒に入浴することがなくなった私は一人、旅館まで歩いていき、「儀式」を済ませたあと、まるでそうすることが当たり前の行動のように脱衣所の電灯を点けず、薄明かりで服を脱いだ。

逆に浴場の電灯を点けず、脱衣所の電灯だけで入浴することで気持ちを落ち着かせることもしばしばあった。

 

近くに運動場があったこともあり、何かしらの大会が開催されると多くの学生たちで大きな風呂が埋め尽くされる時期も年に数回あるのだが、それを除けば毎日大きな風呂を貸切ることができていた。

学生で埋め尽くされることがあると男湯の半分ほどの面積の女湯へと通されることもあった。女性が間違えて入ってくるのではと、どこかのラブコメのような展開を期待せずにはいられなかったが、そんなことはなかった。

風呂から上がって脱衣所の扉を見ると”掃除中”の札が下げられていた。ラブコメ的展開は期待できるはずはなかった。

現実は厳しいものなのである。

 

女湯に通されるなら良かったが、いつものように男湯でくつろいでいると脱衣所が明るくなると同時に飛び込んでくる騒ぎ声。

「来たか…。」

と、覚悟を決めていると、よく日に焼けた褐色の肌以外がシャツの形に浮きあがっている坊主頭たちが勢いよく浴場へ飛び込んでくる。

「おわっ!あちぃ!!……うわっ!湯が馬鹿みたいにあちぃんだけど!!ははっ!」

「こんな風呂入れるわけないじゃん!」

かけ流しのこの温泉地の風呂は、夏季には45℃以上になることも珍しくなく、地元民以外が入浴することは至難の業だった。

そんな湯に度胸試しで飛び込む学生、体に湯をかけていくうちに慣れてきたのか温まろうとする学生、様々あったが、体についた汚れを落としてから入浴する者はおらず、透明で熱い湯は、徐々に茶色くぬるい湯に変わっていった。

 

そのためか、テレビで高校球児を見るたびに、私の胸中は穏やかでなくなる。

これは私の密かな怒りだ。

 

そんな風呂事情ではあったが、夏には火照った体に、当時すでに古ぼけていた小さな商店で親に買ってもらったフタバ食品サクレレモンが冷たく染みわたり、冬には宿泊客たちの旅館での喧騒を遠く耳にしながら、しんしんと降り積もっていく、街灯に白く透ける牡丹雪を眺めながら、誰もいない小道を歩くなど、楽しみもあった。

 

35歳で家を建て、「風呂のない家」で過ごすことはなくなり、入浴後に汗をかいたり、湯冷めすることもなくなった。

実に快適そのものである。

しかし、ふと隣家を臨む浴室の窓を開放して、暑い夏に降る雨と濡れた土の匂いや、降り積もろうとする雪を眺めながら、入浴する自分がいる。

 

儀式と熱湯、球児に対する怒り、風情。

どうやら私の中の郷愁の念を呼び起こすスイッチのようなのだが、風呂のある家ではそれらを満足に得ることができないようだ。